1月18日、バドミントンラケット1本でブルネイ王国をさすらう日本人プレイヤーカワヒロの存在を知ったヨネックス本社は、大久保主任をブルネイに派遣した。ヨネックス本社がバドミントン王国ブルネイに訪問するのは、これが初めての出来事だ。
大久保主任は、ブルネイ王族のコーチでもあるプゥア元マレーシアチャンピオン(トーマスカップ世界第2位)とヨネックスの抱える模倣品問題について議論した。
プゥアチャンピオンはマレーシアではじめてのヨネックス契約選手でもあり、ヨネックスが全世界的に有名になったのはこういった選手の活躍を通じてのものだ。
プゥアチャンピオンは、「形は似ていようが、ヨネックスの技術は誰にも真似できるものではないと確信している。」「ただし、これからもそうあるためには、常に製品開発への努力をし続けることが重要。」
「また、それは素材がどうかとか、品質がどうかとかという単なる技術的な問題だけではなく、もっと大切なことがある。」「当時、名もないヨネヤマラケットの米山元会長は、自分の注文に対し、何度も何度も自分の前に姿を現し、“小僧、これを使ってみろ”と私に木製のラケットを差し出した。自分は、他国一流メーカーからも選手契約のオファーを貰っていたが、最後は米山元会長のあまりの熱心さに負け、大博打を張って、その後自分はヨネックスと共にマレーシアから世界の舞台へと飛び立つこととなった。」
「このヨネックス起業の原点であるこうしたビジネス・マインドを代々継承していくことが大切。」と語った。
プゥア元チャンピオンは、最後に
「時代と共にヨネックスは世界で有名になり、米山元会長の前を数え切れないほどのプレイヤーが通り過ぎていったはずだ。米山さんはおそらく自分をはじめ一人一人のことなど覚えているはずもないだろうが、自分たちプレイヤーから見ればヨネヤマは世界にたった一人しかいない偉大な人物。私は今でも感謝していると恩師に伝えて欲しい。」と語った。
大久保主任は、第2回目イベント開催場所であるランバック・カナンコートでもオリジナル製品と模倣品の見分け方のPRを行った。
そう、今日も河の風がそよそよと吹く中で。